COVID-19を取り囲む様々な意見と私見

COVID-19によるepidemicが起こって1年半が経とうとしている。
私達人類は、ワクチンの製造に成功し、その接種を以ってCOVID-19への抵抗の第一歩を踏み出すこととなった。
ワクチンに対する権利、緊急事態宣言、蔓延防止等重点措置、更には東京五輪まで多くの意見が日々インターネットを飛び交っている。こんな今だからこそ、過去を振り返りながら、今を評価し、未来を見据えることを試みたい。

 

まずはワクチンを接種する権利、しない権利の話をしたい。
2021年7月29日現在、COVID-19に関するワクチンは任意接種であり、接種をするかどうかを決定する権利は個人にあり、接種歴を理由に職業選択等の自由が侵されてはならないという意見が有力に見える。少なくとも、個人的には。
これらは私達各個人の目線に立った考え方であり、私たちがそれぞれどのような選択肢を選び取るかという話である。この選択によって元々所持すると考えられる権利が侵害されることはあってはならない。というのが凡そ見掛ける主張である。
ちなみに余談ではあるが、これらの権利の尊重を主張する人物が、黄熱病の予防接種証明書が必要な諸外国に対して、移動の自由の侵害だと主張しているのをまだ観察したことはない。まあ諸外国に行く必要がない、行くことができないが故に観察されていないだけかもしれないが。

新型感染症に対するワクチン接種には個人を守るだけでなく、コミュニティを、国家を、世界を守る効果が期待されている。この目線を公衆衛生的観点と呼んでも差し支えないだろう。
この公衆衛生的な観点からすると、ワクチン接種は全人口の70~98%の接種を目標としていたはずだ。この比率での接種をもって、COVID-19のクラスター発生及び感染爆発を防ぎ、死者の減少、重症患者数の減少、症状や経過がControllableものとなることが期待されていることは皆さんもご存じの通りだろう。
また、副次的(?)とも言えるかもしれないし、人によってはこれこそが主目的足り得ると思われるかもしれないが、感染者数が減ることでCOVID-19の突然変異が生じる頻度を低下させることが期待される。人から人へ感染し、それぞれの体内で増殖する際にコードの転写ミスなどから突然変異が生じるわけだが、そもそも感染者が少なければウィルスが増殖を試みる機会も減るため、突然変異も頻度が下がることが見込まれる。
これは、現状変異株に対して後手に回り続けている我々人類の対応に時間的猶予とCOVID-19をインフルエンザのような、型を考慮しながら対応していくことができるウィルスにできる可能性をもたらすのではないだろうか。
このためにも人口のほぼ全てが予防接種を行うことが望ましいことは前述した通りであり、やむを得ない事情を除き、私個人としては全ての国民の接種を期待している理由とも言える。
また、余計なことであることは重々承知しているが、ワクチンを接種しない権利の行使は、大多数のワクチンを接種する国民によって保証されているものであり、ともすれば2%の席の奪い合いなのかもしれない。このことを考慮しているワクチン接種をしない人々をついぞ観察したことがない。もちろん私の環境に偏りがあることは想像に難くないわけだが。

 

次にワクチン接種の副反応について考えたい。
主な副反応は、接種部位やその周辺の筋肉痛、発熱、全身倦怠感、腋窩リンパ節腫脹あたりだろうか。重篤な副作用としては血栓症や死亡する例などもある。もちろん成分そのものがアレルゲンとなりアナフィラキシーショックとよばれる循環不全状態に陥り高度な治療を要する場合もある。
ちなみにアレルギー様の症状が出現してもアナフィラキシーショックではないことをここに加えておきたい。アナフィラキシーを原因としてショック状態となるのがアナフィラキシーショックである。
積極的にワクチンを接種することによって死亡するかもしれないという確率を無視した恐怖と、自分自身n=1にとって死亡イベントはたった一度の取り返しがつかないことであるという恐怖がある人も少なくないだろう。
Δ株以前の状態で、濃厚接触者の感染可能性は5%程度としている施設もある。家庭内で感染が広がって1人を除いて全員が感染した例もある。殆どの場合が軽症、つまりは入院加療を必要としないとされていることが多いため、あまり注目されることはなかったのかもしれない。
現在世界的なデータからして、ワクチン接種は感染・重症化に対して一定以上の効果を有することが示唆されている。もちろん無敵の盾ではないので、ワクチンを接種しても罹患する人は一定数いる。しかし、人口の多くが接種することで感染の蔓延や重症患者や死亡者の数を減少させることが期待できるのだ。この社会的利益や個人的に利益と、副反応を天秤にかけながら選択肢を選び取る必要がある。もちろん前述の社会的に効果が期待される接種割合を超える日まで、元の日常を取り戻すことは不可能であることも忘れてはならないだろう。

 

次に緊急事態宣言、蔓延防止等重点措置について思うところを記していきたい。
我々は昨年3月、初の緊急事態宣言を経験した。電車は運行数が減り、多くの会社でリモートが推進され(たらしい)、学校は休講となりオンラインの導入に追われた。もちろん飲食店は早くに店じまいし、街から人が消え、休日も同様の光景を見た。1回目の緊急事態宣言は多くの協力があり、一定の効果を得た。自粛生活を仕方なくしていた層の声が大きいがために、台湾のような状態になる前に宣言を解除して免罪符を得た(本当は得ていない)人々を街に放流する結果となったわけだが。
我々はこのループを繰り返し、更には自粛要請がない今こそチャンスだと言わんばかりに各地を訪れ国内を感染の温床としていることを忘れてはならない。
このような状態で、五輪が開催された影響は、五輪開催は言い訳や感情面での後押しをする以外には、国外から来訪した関係者の素行やその対応に追われた人々の感染状況によって変動するものとなるだろう。病床を確保していることによる都内の病床ひっ迫についてはもはや言及するべくもない気もするので割愛したい。

 

ここからは完全に私見となるので、そういうものだと思って読んでいただきたいです。
我々日本国民は今、多くの困難に直面し、無力感に打ちひしがれたり、理不尽さを感じ憤っているかと思います。そしてよく耳に入るのは、官僚・政治家の無能批判です。民主主義政治の悪い部分が濃縮されたような政治家が多く蔓延る現在の日本ではありますが、そんな彼らを長年トップとしながらこの国をまわしてきたのは間違いなく官僚と呼ばれる彼らだったのだと思っています。我々は、国家公務員を蔑み、妬み、馬鹿にした結果、以前は東大生だらけだった志願者も今は東大生がいるかどうか・・・という状態だと聞いています。能力ある人間が就くことで機能していたポストを我々の悪感情によって、そういった層が忌避しその結果誰もやりたがらない中やっている人たちが増えているのではないかとさえ感じています。我々は大切にすべき人々を蔑ろにしてきた代償を払うフェーズにあるのだと思わずにはいられないです。
公務員や士業に対して必要以上の妬みや罵声、束縛など多くの負担を強いてきたことで目に見えない多くのものを今もまさに失っている最中なのではと考えています。
また、病床数が増えないことに疑問を持つ方も少なくないようですが、各医療圏の病床数は厚生労働省によって定められているため、ベッドを増やせば病床数が増えるわけではありません。制度上、ほぼ満床状態でギリギリ利益が出るくらいのラインで設定されており、病床数が増えることはほぼありえないため、病院自体も病床数が増えない前提で設計されているかと思います。そんな中、コロナ病棟を設置するとその病棟は感染対策のためおよそ50%~70%程度の病床数での運用となります。この時点で病院としても辛いはずなんですよね。そのうえで、国民の多くが宣言と宣言の間を謳歌している中、宣言と宣言の間も感染した患者たちを診療してきています。そういった状態で、多くの情報を発信されている先生方もいらっしゃると思うと頭が上がりません。


日本国政府にロックダウンのような強制的な規制を行使する権限がない以上、政府は指針を示すこと以上のことはできないのではないかと感じています。そのため、今、この感染状況ははっきりいって、我々国民の行動の結果であり、行政や政府のせいなどでは決してないのだと思います。
いつの間にか、お客さんの如く何かをしてもらう側にいて当たり前で、自分の責任をより大きな組織に投げつけ、文句を言うだけの存在になり下がった我々国民は、今こそ主体性をもって科学的根拠に基づいて行動を起こし(行動しないという行動を起こし)、自身を、友人を、家族を、地域を、国を守る時なのではないでしょうか?

長文乱文にお付き合いいただきありがとうございました。
一刻も早くワクチン接種の普及とCOVID-19治療の確立、制御可能な感染症となることを心から祈っています。